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東京地方裁判所 平成9年(ワ)7182号 判決 1998年9月21日

原告

沖本平九郎

ほか二名

被告

鈴木篤

ほか一名

主文

一  被告らは、原告沖本平九郎に対し、連帯して金一九五万円及びこれに対する平成六年七月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告古河樹脂加工株式会社に対し、連帯して金九二五万九九〇三円及びこれに対する平成六年七月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告沖本明子の請求並びに原告沖本平九郎及び原告古河樹脂加工株式会社のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、二分の一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、第一項及び第二項について、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告らは、原告沖本平九郎に対し、連帯して金四四〇万円及びこれに対する平成六年七月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは、原告沖本明子に対し、連帯して金一三二万円及びこれに対する平成六年七月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告らは、原告古河樹脂加工株式会社に対し、連帯して金二〇八三万六二二二円及びこれに対する平成六年七月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、住宅街の信号機により交通整理の行われていない交差点において、左折しようとした自転車と、左折する方向から交差道路を直進してきた自動車が出会頭に衝突した交通事故について、自転車に乗っていた者及びその妻、自転車の運転者が役員をしていた会社が、自動車の運転者及び所有者に対し、民法七〇九条、七一一条(類推)、自動車損害賠償保障法三条に基づき、損害賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実(証拠を掲げないものは争いがない。)

1  次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 発生日時 平成六年七月三一日午後〇時五分ころ

(二) 発生場所 東京都杉並区上荻四丁目五番一号先路上

(三) 加害車両 被告平沼泰郁が所有し、被告鈴木篤(以下「被告鈴木」という。)が運転していた普通乗用自動車(トヨタセルシオ、練馬三三も九八九三)

(四) 被害車両 原告沖本平九郎(以下「原告平九郎」という。)が乗っていた自転車

(五) 事故態様 北から南へ進行し、信号機による交通整理の行われていない交差点を西へ左折しようとした被害車両が、交差道路を東から西へ進行してきた加害車両と出会頭に衝突した。

2  原告平九郎の負傷内容及び入通院の経過

原告(昭和一二年五月一三日生まれ)は、本件事故により、頭部外傷、頭皮挫創・割傷、全身打撲、左腓骨遠位端骨折、右肩甲関節周囲炎、同拘縮の診断を受け、次のとおり入通院して治療を受けた(甲四~一五、一八の1)。

(一) 杏林大学医学部附属病院

入院 平成六年七月三一日から同年八月三日 (合計四日)

(二) 社会福祉法人康和会久我山病院

入院 平成六年八月三日から同年九月一五日 (合計四四日)

通院 平成六年九月三〇日から平成七年六月二〇日 (実通院日数二一日)

入院 平成七年六月二二日から同年六月二八日 (合計七日)

通院 平成七年七月三日から同年一〇月三〇日 (実通院日数四八日)

(三) 医療法人社団岡田クリニック

通院 平成七年一〇月三一日から平成八年九月三〇日 (実通院日数一一三日)

3  原告らの関係

原告平九郎は、原告古河樹脂加工株式会社(以下「原告会社」という。)の代表取締役であり、原告沖本明子(以下「原告明子」という。)は、原告平九郎の妻である(甲二四、弁論の全趣旨)。

二  争点

1  責任原因・過失相殺

(一) 被告の主張

被告らの責任原因については争う。

原告平九郎は、被害車両を運転して下り坂を北から南方向に走行し、一時停止標識があるのに、一時停止をすることなく交差点に進入して、交差点を東方向へ左折しようとした。ところが、交差道路の東方向の安全を確認することなく、かなり膨らんで交差点を左折しようとしたため、交差道路を東から西方向へ進行してきた加害車両の走行車線内に進入し、加害車両と衝突した。したがって、被告らに責任原因が認められるとしても、原告平九郎にも、少なくとも四割の過失が認められる。

(二) 原告の反論

原告平九郎は、本件交差点の手前で停止線で一時停止したか否か鮮明な記憶はない。しかし、片足を地面に引きずるように接触させて減速し、身を乗り出すようにして、東西道路の西方向の車両の有無を確認し、自らが進入する車線の安全を確認した。そして、すっかり減速した速度を回復させるため、ペダルを二、三回漕ぎ出して本件交差点を左折したところ、東西道路の東方向から右側(北側)の車線を走行してきた加害車両とほぼ正面衝突したものであるから、本件事故発生の責任は、すべて被告鈴木にある。原告平九郎が、本件交差点の手前で一時停止をすることや東西道路の東方向の確認を怠ったことは本件事故発生の原因ではなく、原告平九郎に過失はない。

2  各損害額

第三争点に対する判断

一  責任原因・過失相殺(争点1)

1  前提となる事実及び証拠(甲二の1・2、一九の1~5、二〇、二九~三四、五〇の1・2、五一~五三、乙一の1~10、二の1~14、三、原告平九郎本人、被告鈴木本人)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(一) 事故発生場所は、東京都杉並区上荻付近の住宅街を青梅街道方面から神明通り方面に南北方向に走るアスファルト舗装道路(以下「南北道路」という。)と、環状八号線方面から善福寺方面に東西方向に走るアスファルト舗装道路(以下「東西道路」という。)が交差する交差点(以下「本件交差点」という。)付近である。本件交差点には信号機は設置されておらず、南西角及び東北角にカーブミラーが設置され、南北道路には、交差点の手前に一時停止の標識が設置され、停止線が引かれている。

南北道路は、幅員約五・八メートルで、両側に幅員約一・三メートルの路側帯(側溝を含む)があり、車両通行部分との間に白線が引かれている。南北道路は、南方向へ一方通行の規制がなされており、北から本件交差点に向かって緩やかな下り坂となっている。東西道路は、幅員約六・八メートルで中央線が引かれており、北側に約〇・七メートル、南側に約一・四メートルの路側帯(いずれも側溝を含む)がある。車両通行部分の幅員は、中央線を挟んで、北側及び南側とも約二・三メートルである。車両通行部分との間には、北側には白線が引かれ、南側にはガードレールが設置されている。東西道路は、東方向から進行して来ると、本件交差点で南側に約一五度折れて西方向へ向かっている。本件交差点の角にはいずれも建物が建っており、南北道路及び東西道路のいずれにおいても、本件交差点に進入するにあたり、左右の見通しは悪い。なお、東西道路は、最高速度が時速三〇キロメートルに制限されている。

(二) 原告平九郎は、本件事故当日、被害車両を運転して上石神井方面から帰宅するため、西から東へ進行していた。原告平九郎は、本来、南北道路よりも一本東側に南北に走る道路に出ようと考えていたが、それより手前の南北道路で右折してしまい、そのまま南方向へ進行した。原告平九郎は、途中二、三回軽くブレーキをかけながら、おおむね東側路側帯の白線に沿って南北道路を数十メートル進行し、本件交差点の手前に差し掛かった。原告平九郎は、本件交差点を左折しようと考え、一時停止線で停止はしなかったが、スポーツサンダルを履いた左足を地面に滑らせて減速し、東西道路の西方向から来る車両の有無を確認した。その結果、車両は存在しなかったので、東方向を確認することなく左折を開始し、被害車両の前輪の少し前方の路面を見て二、三回ペダルを漕いだ。

(三) 被告鈴木は、加害車両(車両の全幅は一・八三メートル)を運転し、東西道路を時速約三〇キロメートルから三五キロメートルで西方向へ進行して本件交差点の手前に差し掛かった。交通は閑散としており、すれ違う対向車両や加害車両の前方を走行している車両はなかった。被告鈴木は、本件交差点を西方向へ直進しようと考え、本件交差点の西南角にあるカーブミラーを確認することなく、加害車両の右側部分が中央線を超えて反対車線にややはみ出した状態で直進しようとした。原告平九郎は、左折を開始したものの、前方路面を見つめてペダルを漕ぎ、東西道路の中央線寄りに接近してきたため、これを発見した被告鈴木は急ブレーキをかけた。しかし、間に合わず、本件交差点入口付近で、かつ、中央線付近の反対車線(北側車線)内において、加害車両の前部右側部分と被害車両の前部が衝突した。原告平九郎は、衝突と同時にボンネットに跳ね上げられ、フロントガラス左側部分に頭部から衝突した。加害車両は、本件交差点中央のやや南側車線寄りに、車両前部をやや南側へ向けて停車し、原告平九郎は助手席側に転落した。

被告鈴木は、降車して原告平九郎と言葉を交わしたところ、原告平九郎は、「すみません。」とか、「道を一本間違えた。」などと述べた。

(四) 東西道路を東方向から西方向へ進行する車両は、右車輪を中央線に乗せたり、さらには、若干反対車線にはみ出して本件交差点を走行することが少なくはなく、時には、反対車線に大きくはみ出して走行する車両もある。

2  この認定事実に対し、原告平九郎は、本人尋問において、本件交差点手前の一時停止線付近で停止したと供述するが、他方で、一時停止線で停止したか否か厳密な記憶はないとも供述しており、これと同趣旨の内容が記載された証拠(甲五一)が存在することと対比して、右の供述はただちには採用できない。

また、被告鈴木は、本人尋問において、衝突態様及び部位については、認定事実のとおり供述しながら、被害車両と衝突した地点は、本件交差点の東側出入口付近であるものの、東西道路の南側車線(西方向へ向かう車線)内であると供述して図示する。ところで、被告鈴木は、本件事故直後に行われた実況見分において、本件交差点中央の東西道路南側車線上で、南北道路を直進する被害車両に加害車両の前部が衝突したかのような指示説明をしている(甲三、なお、被告鈴木本人は、原告平九郎が直進してきたと説明したことはこれまでに一度もないと供述するが、実況見分調書の内容と明らかに異なっており、採用できない。)。これによれば、衝突地点が東西道路南側車線上であることは一貫しているものの、衝突態様及び部位については、本件事故が一瞬の出来事で説明があいまいとなる可能性があることを考慮しても、なお、看過できない相異がある。被告鈴木が供述するとおりの事故態様であるとすれば、何も、実況見分において、これと異なる事故態様を説明する必要はないのであって、事故直後に、あえて、これと異なる説明をしていることは、真実の事故態様が自己に不都合なものであったことをうかがわせるものといえる。そして、本件交差点を自転車に乗って左折しようとする者が、いかに幅員が広くない道路とはいえ、中央線があるのに、あからさまに反対車線に入り込むような形で左折進行することには疑問がある。これらの事情に加え、東西道路の幅員、加害車両の車幅、さらには、東西道路で西方向へ進行する車両が本件交差点を通過する際、中央線を超えて通行することは、それほど珍しいことではないことを総合すると、被告鈴木の供述には疑問があり、直ちには採用できない。

なお、原告平九郎が、本件事故直後、被告鈴木に対し、「すみません。」とか、「道を一本間違えた。」と述べていることは、被害車両が、東西道路の中央線を超えて南側車線に進入したことをうかがわせるものといえなくはない。しかし、本件事故が出会頭の事故であり、原告平九郎が進行してきた南北道路側に一時停止線があること、被害車両が左折するに際して東西道路の中央線付近まで進行していることに照らすと、1で認定した事故態様であったとしても、原告平九郎が、被告鈴木に対して咄嗟に謝罪や弁解をすることは不自然とまではいえず、このことをもって、直ちに、衝突地点が東西道路の南側車線内であったと認定することはできない。

3  1の認定事実によれば、被告鈴木には、東西道路の幅員が大きくなく、かつ、対向車両がなかったとはいえ、本件交差点に進入するに際し、交差道路の通行を確認することも減速をすることもなく、漫然と制限速度かこれを若干超える速度で、中央線をはみ出して走行した過失がある。この過失によって、本件事故が発生したのであるから、被告鈴木は、民法七〇九条により、本件事故と相当因果関係のある損害を賠償する責任がある。また、被告平沼泰郁は、加害車両を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、被告鈴木と連帯して損害を賠償する責任がある。

他方、原告平九郎も、減速したとはいえ、一時停止線で一時停止することなく、かつ、東西道路の東方向をまったく確認せず、自転車に乗車しながら道路の中央線に接近して左折した過失があるというべきである。

この過失の内容、本件事故の態様を総合すると(特に、東西道路の幅員が広くないことや、場合によって追い越しをする車両があることを考慮すると、原告平九郎は、東方向から進行してくる車両の有無を確認する必要がないということはできず、この確認を怠り、かつ、自転車でありながら、道路の左端を通行しなかったことは軽視できない。また、被告鈴木が加害車両を中央線からはみ出して走行させていたことも軽視できないが、道路の幅員が広くないことや対向車両が存在しなかったことを考えると、ことさら、このことのみを重視するのは相当でなく、むしろ、交差道路の様子をカーブミラーで確認することなく、かつ、減速もせずに本件交差点に進入しようとした過失を重視すべきである。)、被告鈴木と原告平九郎の本件事故に寄与した過失の割合は、被告鈴木が七〇パーセント、原告平九郎が三〇パーセントとするのが相当である。

二  各損害額(争点2)

1  原告古河樹脂加工株式会社が原告平九郎に支払った役員報酬(請求額一八九四万二二二二円) 一一七九万九八六二円

(一) 前提となる事実及び証拠(甲一四、一七の1・2、一八の1・2、二一~二七、原告平九郎本人)によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 原告平九郎は、本件事故後、前提となる事実2のとおり、負傷して入通院し、三回(頭が一回、足が二回)にわたって手術を受け、久我山病院において、平成七年一〇月三〇日をもって、右肩関節の可動域制限と運動時痛が残存して症状が固定した旨の診断を受けた。原告平九郎は、この診断を前提に、自動車保険料率算定会新宿調査事務所において、後遺障害等級の事前認定を受けたが、結果は非該当であった。原告平九郎は、久我山病院で右の診断を受けた後も、同年一〇月三一日から岡田クリニックに通院し、理学療法による治療を受けた。これにより、右肩関節の可動域は、若干改善されたが、平成八年九月末日において、以前、健側である左肩よりも可動域が若干制限された障害(自動運動について、屈曲は、左側が一五〇度であるのに対し右側は一三〇度、外転は、左側が一二〇度であるのに対し右側は七五度、外旋は、左側が七五度であるのに対し右側は五〇度である。)が残存し、症状固定の診断を受けた。

(2) 原告会社は、資本金三億円で、古河電気工業株式会社が一〇〇パーセント株式を所有する昭和六〇年に設立された会社であり、本件事故当時、役員は六名で原告平九郎は常勤の代表取締役であった。従業員は、約七〇名であり、パートタイマーを含めて約一二〇名であった。原告平九郎は、原告会社設立当時から経営の中枢におり、資金調達や建物の建築など重要な事柄について決定することなどの仕事に従事していた。原告平九郎は、本件事故に遭った直後は、十分に働くことができなかったが、平成六年には年間一五八八万一〇八四円が役員報酬として支払われ、平成七年には年間一六一〇万六四五九円、平成八年には年間一七五一万五二五六円が役員報酬として支払われた。原告会社の営業状態は良好であり、平成六年度は、当期利益として約一億九一〇〇万円を、平成七年度は、当期利益として約一億六四〇〇万円を計上した。

(二) 一般に、会社役員の報酬中には、役員として実際に稼働する対価としての実質をもつ部分と、利益配当等の実質をもつ部分とがあり、後者は、役員の地位にある限り当然に支払われるものであるから、会社役員の逸失利益については、前者についてのみ判断すれば足りるというべきである。

原告会社は、平成六年以降も利益を出している上、原告平九郎は、完全に稼働できない状態でありながら、平成六年以降年収が増加していることからすると、原告平九郎の年収のうち、ある程度の利益配当部分が存在することは否定できない。しかし、原告平九郎は、原告会社の設立当時から経営の中枢におり、本件事故当時においても、会社の重要な事柄について決定を行っていた。そして、原告平九郎の年収額、原告会社の規模に加え、平成六年度賃金センサス産業計・企業規模計・男子旧大卒・新大卒五五歳から五七歳の平均賃金が年間一〇〇八万五四〇〇円であること(当裁判所に顕著な事実である。なお、原告平九郎の最終学歴は本件全証拠によっても明らかではないが、本件事故当時の年齢は五七歳である。)を併せて考えると、原告平九郎の収入における稼働の対価分の割合は比較的高いというべきであり、これらの事情を総合すると、原告平九郎においては、本件事故に遭う前年である平成五年分の収入が明らかでないので、少なくとも、平成六年分の収入である年間一五八八万一〇八四円(本来は、本件事故に遭う前年である平成五年分の収入を参考にするのが適切であるが、本件全証拠によっても、それは明らかでないので、本件事故に遭った年以降で最も少ない収入を基礎とした。)の八割に相当する一二七〇万四八六七円(一円未満切捨)は実際の稼働による対価とするのが相当である。

ところで、原告平九郎は、平成七年一〇月三〇日にいったん症状固定の診断を受けているものの、その後も、治療により症状は若干改善したのであるから、平成八年九月三〇日の岡田クリニックでの治療終了までは、本件事故と相当因果関係のある治療ということができる。そして、原告平九郎の負傷の内容、症状の経過及び通院頻度に加え、平成七年一〇月三〇日にいったんは症状固定と診断されていることを併せて考えると、原告平九郎は、平成六年七月三一日から同年九月一五日までの入院四七日間と、平成七年六月二二日から同年六月二八日までの入院七日間を合わせた五四日間については一〇〇パーセントの、平成六年九月一六日から平成七年一〇月三〇日までの四一〇日間から、平成七年六月二二日から同年六月二八日までの入院七日間を差し引いた四〇三日間については平均して五〇パーセントの限度で、同年一〇月三一日から平成八年九月三〇日までの三三六日間については平均して二五パーセントの限度で、労働能力を制限されたと判断するのが相当である。

原告会社は、右の間、原告平九郎から、一定の割合の労務の提供を受けなかったにもかかわらず、役員報酬を支払ってきたものであるが、これは、原告平九郎及びその家族が、本件事故以前と同程度の生活を維持するために支払をしたものであると推認できるから、原告平九郎の労務の対価に相当する分の限度で本件事故と相当因果関係があるというべきである。したがって、原告会社が、平成六年分から平成八年分として原告平九郎に支払った役員報酬のうち、損害として本件事故と相当因果関係の認められるのは、一一七九万九八六二円(一円未満切捨)となる。

12,704,867×(54+403×0.5+336×0.25)/365=11,799,862

2  原告平九郎の慰謝料(請求額四〇〇万円) 二五〇万円

すでに認定した原告平九郎の負傷内容、入通院の経過、症状固定後に残存した症状などの事情を総合すると、原告平九郎の慰謝料としては、二五〇万円を相当と認める。

なお、原告は、本件事故後の対応において、被告鈴木に誠意が見られないなどと縷々主張し、これによって増幅された精神的損害としてさらに一〇〇万円は下らないと主張する。前提となる事実及び証拠(甲五二、原告平九郎本人、被告鈴木本人)によれば、被告鈴木は、本件事故直後、所持していた携帯電話で救急車を呼んだこと、警察官が本件事故発生場所に到着するまで現場で待機し、実況見分の立会いをしたこと、本件事故後まもなく、入院した原告平九郎を一度見舞ったこと、その後、原告平九郎と被告鈴木との間で、任意保険会社を交えて補償について話し合いがなされたが、事故態様について争いがあり、被告らが過失相殺を主張したことなどから、話し合いはまとまらず、本件訴訟に至ったことなどの事情が認められるが、これらの対応では、慰謝料が増幅されるとまではいえないというべきである。

3  原告明子の慰謝料(請求額一二〇万円) 認められない

証拠(原告平九郎本人)によれば、原告明子は、本件事故の発生を知らされて衝撃を受け、原告の平九郎の病状や将来に不安を持ったことが認められるが、すでに認定したとおり、原告平九郎は、入通院治療を経てしだいに回復し、現在は、右肩関節の可動域に多少の制限が残存しているものの、原告会社に勤務をしている。原告平九郎の負傷内容や、このような治療経過及び現在の状況に照らすと、原告明子は、原告平九郎が死亡した場合にも比肩するような精神的苦痛を受けたとはいえないから、原告明子固有の精神的損害としての慰謝料は認められないというべきである。

4  過失相殺

(一) 原告平九郎は、岡田クリニックを除く入通院治療費、入通院交通費、雑費などについて、被告らから保険会社を通じて支払を受けたことを自認しているが、これらの金額について、被告らは主張も立証もしないし、原告平九郎も、岡田クリニックの治療費や通院交通費を請求せず、本件全証拠によっても、この金額は明らかでない(なお、甲一五によれば、原告平九郎が、少なくとも、久我山病院に治療費(文書料を含む)として三万一二四〇円を支払ったことを認めることができるが、これについても、被告らが清算済みであるのか否か定かでない。)。

したがって、これらを加えた損害総額は不明であるので、判明している金額を損害総額とし、原告平九郎の慰謝料二五〇万円から、本件事故に寄与した原告平九郎の過失割合である三〇パーセントに相当する金額を減ずると、原告平九郎の過失相殺後の金額は、一七五万円となる。

(二) 原告会社の損害額一一七九万九八六二円から、本件事故に寄与した原告平九郎の過失割合である三〇パーセントに相当する金額を減ずると(原告会社の損害は、結局、原告平九郎の休業損害を前提にするものであるから、原告会社の損害についても、過失相殺がなされるべきである。)、原告会社の過失相殺後の金額は、八二五万九九〇三円(一円未満切捨)となる。

5  弁護士費用(請求額 原告会社一八九万四〇〇〇円、原告平九郎四〇万円、原告明子一二万円)

審理の経過、認容額などの事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、原告平九郎が二〇万円、原告会社が一〇〇万円を相当と認める。

第四結論

以上によれば、原告平九郎及び原告会社の請求は、不法行為に基づく損害金として原告平九郎が一九五万円、原告会社が九二五万九九〇三円及びこれらに対する平成六年七月三一日(不法行為の日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、原告明子の請求は理由がない。

(裁判官 山崎秀尚)

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